空 /下/
 先に私の「空 /上/」をお読みください。
 読んでおかないと、分からないことだらけです。




 ̄ ̄4__

 空が転校してから、既に1週間が過ぎた。
 その日は雨で、空は学校に来なかった。
「ああー……凄い雨だね」
 絵美が外を見ながら言った。
 が、隣の明未は何やらぼーっとしている。
「明未?」
「え?」
 どうやら意識が、目の前の物を認識していないようだ。
「さっきからぼーっとしてるけど、だいじょぶ?」
「え、あ、うん……。ちょっと、考え事」
 それを聞いて、絵美の顔はにやりと変わった。
「ほほー。空君の事が心配なんだ?」
「えぇ!?」
 と、顔を真っ赤にして驚く明未。
 明未は、分かりやすいことで有名になりつつあった。
「べ、別にそんな……。きょ、今日はクラリネットが吹けないなぁって……」
「およよ?お顔が真っ赤ですよ、明未しゃん」
「も、もう、止めてよ!」
 思わず大きな声を出してしまう。
 ――事実、空が心配だったのだ。
 それを表に出さないようにと思うが、どうやら自分は隠し事をするのが苦手らしい。
 もっとも、空の秘密はしっかりと守っているのだが。
「んじゃあさぁ、これ、届けてあげてよ。家、近いでしょ?」
 何処から取り出したのか。絵美は1冊のノートを明未に手渡した。
「何、これ?」
「日直が書いた、今日の授業の内容」
「ああ……」
「それと、これ」
 更に追加されたのは、2枚の紙。
「これは?」
「見れば分かる。ちなみに、1枚は明未のね」
 明未は不審に眉をひそめながらも、その紙をよく見た。
 そして、その顔は驚愕と混乱に染められた。
「ほ、本当に、い、行くの?」
「いいからいいから。ちゃーんと届けてよ!」
 と言った絵美の顔は、何かを企んでいた。



「ここ、かな……。先生のメモが正しければ」
 緊張。
 彼女は今、空が住むマンション――の、彼の部屋の前に来ていた。
 表札には間違いなく、『御影』と書いてある。
 覚悟を決めて――と言うのもおかしいが――インタホンを押す。
 暫くして
「はい……?」
 元気のない、空の声だった。
「私、明未。今日の授業の内容を書いたノート、持って来たの」
「明未……? あ、ありがとう……」
 その声が、震えているような気がする。
「今、開けるから……入って」
「う、うん……」
 気まずい。
 ドアが、酷く重かったのは気のせいだったのだろうか。
 部屋の中は、電気が点灯していなく、暗い。
 奥の扉が少し開いている。どうやら、そこに空がいるらしい。
 明未は恐る恐るその部屋に入った。
 そこはリビングで、その真ん中に、外を見るようにして彼が座っていた。
「空……?」
 彼の体が、震えている。
「ど、どうしたの?」
「えっ、あ……」
 ゆっくりと振り向いた彼の瞳は、濡れていた。
 濡れているだけではない。その瞳は、灰色で、とても悲しげだったのだ。
「こんなカッコ悪いところ、見せたくなかったな……」
 無理に笑顔を作る空。が、彼の瞳は未だに涙を流していた。
 拭っても、拭っても、それは止まらない。
「空……」
 言葉が、続かない。
「どうしてだろうな」と、空。「俺が泣くと、空が泣くんだ。空が泣くと、俺も泣くんだ」
 笑顔が次第に、安心のものへと変わっていく。
「止まらない……。俺が泣き出すと、空も泣き出す。空は、なかなか泣き止めないから、俺もずっと泣いてるんだ……」
「空……泣いてたんだ」
 明未は彼の隣に座った。
「なんか俺、かっこわりぃー……」
 そんな横顔を、明未は苦しそうな表情で見ていた。
 ――聞けない。どうして泣いているのかを。
 聞いても、答えてくれないと思った。でも、空は泣いている。
 どうしようも出来ない、それに、彼女は苦しんだのだ。
「――空」
「うん?」
 明未は彼の瞳を直視できないまま、あの紙を差し出した。
「一緒に、行こう。きっと、楽しいから」
 それをさっと目を通して、空は驚きに目を見開いた。
「これ……」
「私が計画したんじゃないんだよ。絵美が……」
「――ありがとう」
 雫が、その紙を濡らす。
 その雫にこめられた感情は、悲しみとは少し、違っていた。
「必ず、行くよ」
「うん」
 と、1度微笑んでから「私、そろそろ帰るね」と、立ち上がった。
「明未」
 彼女の後ろ姿に、空の声が飛ぶ。
「――自由でいることは、罪だと思う?」
「え……?」
 ぱっと振り向き、その瞳と視線がぶつかった。
「……罪なんかじゃないよ」
 そう言うのが、精一杯。
「そっか……ありがと、明未」
 彼の灰色の瞳が、少し、色を薄めたような気がした。

「あ、晴れてる……」
 空の家から出ると、雨は止んでいた。




 ̄ ̄5__

 その日は快晴だった。
 にぎやかな声が絶え間なく、聞こえてくる。
「こっち、こっちだよ!」
 と、絵美が手を振っていた。
 明未はそれに手を振り返して、走っていく。
 今日は、日曜日。
「まだ、皆来てないんだね」
「そうそう。だって、私が時間変更を教えたのは、明未だけだもん」
「えぇ!?」
 ――ここは遊園地。
 たくさんの人が、このメイン広場にある噴水で待ち合わせをしていた。
 ちなみに明未と絵美も、である。
 この広場はいろいろなところから水が噴出し、真中の部分は、時間によっては人を水の檻のように閉じ込めてしまうので、ある意味危険な場所でもあった。
 だが、その危険さで、待ち合わせにはもってこいになっているのだ。
「何で私と絵美が早いの?」
「ふふふっ……」
 企みの笑い。
「明未、今日はね、がつんといくのよ?」
「へ?」
「そうだな……絶叫マシーンで抱きつくか、はたまたコーヒーカップで一緒に騒ぐか……手っ取り早く、観覧車で――」
「何?」
「ま、いっか……全ては明未のセンスだね」
「え?」
「おすすめスポットは調べておいてあげたから、チェックしておいてね」
「は?」
 と言って絵美はパンフレット――マップが書いてあるやつだ――を明未に渡した。
「5つくらいに、印つけておいたから」
「な、何で絵美がこんなに積極的なの?」
 もっともである。
「だって、可愛い明未のためだもん。頑張ってくれたまえ」
 にやにやと笑う彼女に、明未は苦笑を返すしかなかった。
「ありがとね、絵美」
「お安い御用よ」

 絵美の計画した物とは「集合!遊園地で遊んじゃおう☆」という、自由参加のクラスイベントだ。
 毎回彼女は面白い企画を立てるのだが、今回は一味違う。
 参加者の殆どが、「裏企画」の仕掛け人なのだ。

 次々とクラスメイトが集まる中、明未は絵美から貰ったパンフレットに目を通していた。
 すると
「来た来た」「来たよぉ」
 と、騒がしくなった。
 明未が視線を上げる。その先には、彼の姿が。
「おはよ、空」「おはよう!」「空君、おはよー」
 そう、空だ。
「これで全員かなぁ?」
 絵美がきょろきょろと辺りを見回して、人数確認をしている。
「OK、全員だね」
 空も同じようにきょろきょろとしている。そして、明未と目が合った。
 明未のほうはドキッとして、思わず目をそらしてしまった。
 緊張してると意識した時には既に、目の前に空がやってきていた。
「おはよう、明未」
「お、おはよ」
 少し引きつった笑みを浮かべる、明未。
「今日、晴れてよかったね」
「だな。こうやって遊ぶの、すっごく久しぶりなんだ」
 といって、にこりと笑う、空。
 明未もそれを見て、自然に笑った。
「この遊園地、明未は来たことあるの?」
「1回だけ。小さい時にね」
「へぇー」
 周りを見ようと振り返った空だったが、異変に気がついて視線を再び明未に戻した。
「なあ、今までここに、皆いたよな?」
「え?うん。……あれ?」
 明未も辺りを見回す。
 そこには既にクラスメイトの姿はなかった。ただ、物凄く遠くのほうに、何人かを見つけたことで、この状況がわかった。
 絵美の計画によって、2人っきりにさせられたのだ。
 これが「裏企画」であり、「真の目的」であることを知らないのは明未と空だけだった。
「ごめん、俺が話し掛けたせいで取り残されちゃって……」
「ううん、いいよ。それに、空のせいじゃないと思うし」
 と、何となく絵美の計画だと言うことが分かりかけた明未だった。
「どうする?」
 空は困ったように遠くを見ながら言った。
「2人で行く?それとも、絵美に追いつく?」
 一瞬ドキッとした。が、どうにか落ち着いて言葉を探し出した。
「探し出せないと思うから、空さえ良ければ……」
「そう?んじゃ、行きますか」
 彼は明未の手を掴んで――そう、飛んだ時のように掴んで走り出した。
「ま、まさか飛ぶんじゃないよね!?」
「まさかー。いろいろ回るには、走ったほうがいいだろ!」
 それに笑みを見せながら、明未は頷いた。



「何かさぁ、こう、飛びたくなってくるよな」
「え、ちょっと、止めたほうが……」
「冗談だって」
 と、悪戯めいた空の笑み。明未が返す笑みは引きつっていた。
 がたんがたんと揺れる感覚が、不意に途切れた。
 ジェットコースターである。
「きゃーっ!」という明未の声が、風の中に消えていく。
「あのさぁ、平気だったんじゃないの?」
 妙に冷静な空。
「言ったよね!?どんなものか分かるまでは怖いんだよ!これ初めてなんだからー!」
「あはは、そうだったな」
 もう、目も開けられない明未だった。



「俺、実は乗り物酔い弱くて……おえっ」
「あれ?コーヒーカップ、駄目だった?」
「楽しかったんだけどな……うっ」
「先に言ってくれればよかったのに……」

「私、おばけ屋敷はからっきしで……」
「駄目なんだ」
「う、うん……きゃぁー!!」
「あらら、ほんとに駄目なんだな……」

「さすがに俺は乗らないかな」
「え、やっぱり恥ずかしいの?」
「メリーゴーランドは無理だって」
「じゃあ、別なところいこっか」
「いや、写真とってやるから乗ってけよ」
「えぇ!?」



「すっごく高いね……」
 と、明未は少し引き気味に外を覗いた。
 観覧車の中である。この地域では結構有名な、大きな観覧車である。
「1周するのに何分かかるんだろうな」
 空のほうはわくわくしているのだろう、目が輝いている。
「それにしても、結構高さあるなぁ……まあ、俺にしてみれば全然高くないんだけど」
「違いないね」
 と言うと、空は「真似だな」と言って笑った。
「そういえばね」明未が言う。「曲、もう少しで出来そうだよ」
「ほんとか!?楽しみだなぁ。バラード?」
「うん。その方が、空、喜びそうだし」
「ありがとう!」
 ――その後は、沈黙になってしまった。
 明未は空が真剣に景色を見ているのが気になった。
 青い瞳は下に移る、何かを見ている。その何かが、怖かった。
 ……怖い?どうして?
 自分の感情――直感に、疑問を持つ。
「明未」
「え?」
 明未ははっとした。
 空の瞳が、彼女を捕らえて放さなかった。
「俺、明未に会えてよかったよ」
「な、何ってるの?」
「言いたくなったから、言っただけ」
 空は悲しそうな笑みを浮かべた。
 ――風で、床が揺れた。
「明未は、俺を分かってくれた。明未は、俺の自由を認めてくれた。だから、会えてよかった」
「そ、ら……?」
 時間が止まったのかとさえ思った。
 2人は動かなかった。ただ、お互いに見つめあって、何かを伝えようとするだけ。
 言葉では言い表せないそれを、空は明未に伝えようとしている。
 言葉にするのは怖い、それを……。

 お互いに喋らないまま、観覧車は地上へ戻ってきた。




 ̄ ̄6__

 空は何かを感じているようだ。
 観覧車の前にあるベンチに2人は座った。
 会話はない。
 明未はずっと空の横顔を眺めていた。
 その、真剣な眼差しは何を考え、何を見ているのか。
 分からなかった。直感的に、分かりたくないとも思った。
「明未、走ろう」
「え?」
 空が立ち上がり、同じように明未も立ち上がる。
「いいか?」
「う……うん」
「よし」
 空は明未の手を掴もうとするが、躊躇った。
 明未のほうから手を出したからだ。
「行こう」
「……ああ!」
 2人は走り出した。
 そして、それと全く同じ瞬間に『彼ら』も走り出した。

 何故走らなければいけないのか。
 明未は疑問に思った。でも、今はかまわない。
 走らなければ、いけないと思ったのだ。

「自由ってさぁ」
「え?」
「やっぱり俺には、与えられないのかなぁ?」
 走りながら、彼はそう言う。
 明未は「そんな事ない」と言った。
「少なくても、私が見る限り、空は自由だよ」
「――ありがと」
 その時気がついた、後ろから追ってくる音。
「早いな」と、空が呟いた。
「ねえ、どうして走ってるの?」
 思わず、聞いてしまった。
「俺の自由を奪おうとしてる奴らから逃げるため」
 空の顔は真剣だ。
「巻き添えで、悪いな」
「いいよ、気にしないで」
 正直、一緒に居たかった。
 ここで別れてしまったら、2度と会えないような気がしたのだ。

 辿り着いたのは、あの噴水の広場。
 時刻は、もう少しで5時。
「来たな」
 広場には都合良く、明未と空、そして『彼ら』しかいなかった。
 警察官のような姿をした、数十人の男達。
 彼らは噴水の広場を囲むように立ち、2人を凝視していた。
「どうして、ここで俺を捕まえようと?」
 空が、正面の男――どうやら、リーダーのようだ――を向いて呟いた。
「ここなら、どんなに人が多くてもお前は警戒しないだろう?」
「そうか……。違いないな」
 明未は身を強張らせた。空がそれを引き寄せてきつく抱きしめる。
「え?」
「下手に俺を捕まえようとしないでくれよ。大事な人なんだからな、こいつは」
 男達が警戒するのが分かった。
 ――どうやら明未は、人質扱いになってしまっているらしい。
「しかし、逃げられないぞ、空!」
「ああ、そうかもしれないな」
 空は笑顔だった。
 明未は、彼の隣で必死に混乱と戦っていた。
 彼は、捕まってしまったらどうなるんだろう?
 彼は、どうして捕まらなければいけないのだろう?
「でもさ」
 空の瞳が、悲しげに細められた。
「自由が、俺にも与えられるって事が分かったんだ」
 あの男はその言葉を鼻で笑う。
「お前に自由?何を戯けた事を……お前など、捕縛される存在なのだ。お前など、化け物なのだよ」
 明未は目を見開いて反論しようと口を開いたが、声は空に止められた。
 男が更に続ける。
「他の人間が出来ないことが出来るお前は変異なのだ。だから、しっかりと檻に入れて、使わなければいけないのだ」
 彼らの輪が徐々に小さくなり、2人を追い詰める。
 明未は急に怖くなって、目を瞑った。

「自由は、俺が自分で掴んでみせる――」

 瞬間、地面が小さく振動する。
「!?」「ぴったりだな」
 この広場の名物『水の檻』の噴水だ。
 大きな音をたてて、地面の穴から水が噴出した。
 水の勢いは強く、その場に踏み入った彼らを退かせた。
 直撃を受けたものの口から、驚愕と痛みのうめきが漏れる。
「こ、これは……!」
 リーダーらしき男の声も、水に阻まれてよく聞えない。
 噴水の真ん中はまさに「檻」と化していた。
「明未……俺を見て」
 空は彼女の耳元にそう告げた。
 恐る恐る目を開けた明未の視線が捉えたのは、あの青い瞳だった。
「俺、ここで捕まるわけにはいかない。だから、行く」
 それを聞いて、明未の体は今まで以上に強張った。
「……いなく、なっちゃうの?」
「ああ。ここから、飛んでいく」
「――行かないで」
 思わずいってしまったその言葉に、空は面食らってしまったようだ。
 明未も、何て子供じみた発言なのだろうと思った。
 思わず赤くなったが、この際気にしない。
「明未……」
「私も連れて行って。私、空がいれば飛べるんだよ?足手まといにはならないから……」
 目が、熱くなる。言葉が止まらない。
 空は彼女の心情が分かったのだろう、小さく微笑んで明未の髪をそっと撫でた。
「明未をこれ以上巻き込めない」
「でもっ……!」
「それに、ここに明未がいるって分かってるから、帰ってこれる。明未のあの音があるから、俺は帰ってくるよ」
 瞬間。青い瞳に、吸い込まれる――と、錯覚した。
 驚くほど近くに、その瞳がある。
 そして、2人の唇が重なった。
 ――本当に一瞬だけだった。明未は、驚いて、離れた彼の顔をじっと見つめる。
 空は照れたように、しかし、はっきりと言った。
「それじゃあ、またな」
 完全に空は明未を離し、軽く地を蹴った。
 ふわりと浮かび、最後に微笑んで、彼はその水の檻から飛び出した。
「待て!」「逃がすな!」「空!!」
 男達に見せた笑みは、いったいどんな感情を含んでいたのか。
 空は高く、速く、その場から飛び去ってしまった。姿も、あっという間に見えなくなる。
「追え、逃がすな!」
 あの男が叫び、彼らはいっせいに空の飛び去った方向へ走っていった。


 明未は、動けなかった。
 彼女の脇を、男達が走り去っていく。
 頭の中は、真っ白だった。何も、考えることが出来なかった。
 ――彼がいなくなってしまった。
 ――彼は、自由になってはいけないんですか?ただ、飛べるだけだったのに。
「おい、君、大丈夫か?」
 その声に、彼女はゆっくりと振り向いた。
 声をかけたのは、あの男達の1人だった。
「傷つけられてはいないか?」
「……」
 ど う し て 
 彼女の口が、そう動いた。
 男はそれに気がつかないのか、言葉を進める。
「心配ない、もう、君は開放された。自由なんだ」
「……」
 ――彼は、どうして?
 明未は、もう耐えられなかった。
 目から溢れた涙は一筋、頬を伝い、それが合図だったかのように、止まらなくなってしまった。
 男は少なからず驚いたようだ。
 明未は声をあげて泣いた。
 ついにはその場に座り込んで、泣き続けた。
 この胸の痛みに、泣いた。
「き、君……?」
 男は言い、そして頭上を見上げた。
 いつの間にか、灰色の空。そして、それが彼女と同じように泣き出した。
 ――彼が、泣いたのだろうか?
「明未!?」
 男の後方から、絵美たちが走ってくる。
 それでもまだ、彼女の涙は止まらなかった。
 全身がずぶ濡れになっても、彼女はそこから動くことが出来なかった……。




 ̄ ̄7__

 絵美は、ずっと毎朝待っていた。
 あの石階段の下で、この3日間、毎朝待っていた。
 彼女からの電話はなかった。だから、いつ来るか分からない。
 でも、毎朝待っていた。
「……天気、いいな」
 今日は、昨日までの雨があがって、快晴だった。
 雲が、ゆっくりと流れていく。
 その視界が、端に黒い影を捉えた。
 絵美ははっとして、その影を見つめる。
「……明未っ!」
「おはよう、絵美」
 制服を風にはためかせて、彼女は石階段を下りてきた。
「ごめんね、3日間も休んじゃって」
「い、いいの。気にしないで。皆、心配してたけど」
「そっか。詳しい連絡、しなかったからね」
 恥ずかしそうに肩をすくめる明未。絵美は俯いた。
「あの……ごめんね、明未」
「え?」
「私があんな企画立てなければ、空君、居なくならなかったかもしれないのに……」
 絵美はこの3日間、罪悪感にとらわれていたのだ。
 しかし、明未は
「そんな、絵美のせいじゃないよ。しかたないことだったと思うから」
 と、苦笑しながら彼女は再び肩をすくめた。
「あのね、暫くクラリネット吹いてなかったから、今日はどんどん吹くからね!そうそう、新曲を出す予定だから、期待してて!」
「……うんっ!」
 2人は、学校へ向かった。

「明未!」「明未ちゃん!」「日ノ出……」
「皆、心配かけて、ごめんなさい」



 扉を開けると、風が、まるで彼女を待っていたかのように強く吹きつけた。
 彼女は微笑みながら屋上へと踏み入った。
 微笑が揺らぎそうになったが、何とか持ちこたえる。
 目が急に熱くなる。でも、持ちこたえた。
 ――楽譜は、頭の中に叩き込まれていた。いや、自然と全て覚えていた。
 彼のために、彼へのお礼にと、作った曲。
 結局、間に合わなかった。
 それでも、これは彼のための曲なのだ。
 明未はクラリネットを構え、彼に届くようにと、とても響く音で、奏で始めた。
 心は、もう揺れなかった。



 儚くて、悲しくて、寂しくて、それでいて愛しい、そんな曲だった。
 彼女はそれからずっと、毎日吹き続けた。
 いつもと違うその曲調に、涙した者もいる。
 転調するその曲の最初は、微笑みかけるような優しさ。でも、後半は、泣き叫ぶような、悲しい調べ。
 ――どうしてこんなに悲しい調べなのだろうか?
 その理由を知るものは、ほんの数人しかいない。
 しかし、その曲は、人に何かを訴えかけていた。
 何か――それは、彼女の心の中にある「自由への叫び」なのかもしれない……。




 ̄ ̄終章__

 ある日の夕方。
 明未はいつものように屋上へ来ていた。
 今日はやけに天気が良くて、風がどこか優しかった。
 そして、いつものように『あの曲』を吹き始める。
 あの、愛しくも悲しい曲を。
 明未は、1度音楽に入り込んでしまうと、なかなか反応できない。
 だから、気がつかなかった。
 自分の後ろに、誰かが降りたったことに。
 音の響きは転調し、あの悲しい部分を奏で始めた。
 後ろの人物は表情を厳しくし、その場に立ち尽くした。
 まるで、彼女に話し掛けてもいいのだろうかと、迷うように。
 曲は、悲しみを残したまま終わった。
 そして、彼女からふうっとため息が漏れた。
 期待していた気持ちが、ゆっくりと寂しさに変わる。そのため息だ。
 後ろの人物は決心でも固まったのだろう、そっと手を叩いた。――拍手だ。
 明未は驚いて、ほぼ反射的に後ろを振り返っていた。
 そして、更に驚く。
「そ、ら……?」
 震える唇が発したのは、その人物の名前だった。
「久しぶり、明未」
 その声も、暫く前に分かれた彼に間違いない。
 明未は思わずクラリネットを落としそうになり、慌ててきちんと足元に老いてから、彼に近づいた。
「本当に、空なの……?」
「ああ。俺は空だよ」
 彼――空はにこりと笑った。
「だって、ここに居たら、あの人達に――」
「かもな。でも、俺はあの音が聞きたくて――明未に会いたくて、来たんだ」
「空……おかえり」
 明未は無我夢中で彼に抱きついた。
 そして、今までずっと押さえていた涙が、溢れ出す。
「ただいま……」
 空は温かかった。だから、彼がここで、少なくとも今は、自由だということが感じられた。
 震える肩を、彼は優しく抱いた。
「今の曲、もしかして、俺の」
「うん。そうだよ。空のために作ったの」
 小さく微笑みながら、彼女はそう言った。
 空は、嬉しそうに笑う。
「じゃあ、もう1度吹いてよ。俺の、ためだけに」
「うん、いいよ」
 明未は、濡れた瞳で、心から微笑んだ。



 再会を果たした後でも、その曲は毎日のように奏でられた。
 しかし、その日を境に、少しだけ感じが変わった。
 悲しみの調べの後に、再び転調が追加されたのだ。
 その部分は
 明るく、前の悲しみを優しく包むような、喜びと愛に満ちた調べだった。



 そして、今日も彼女は、屋上でクラリネットを吹いている――



                       〜End〜




 どうしても本編に出せなかったネタ。
絵美「およよ?また、音楽の本読んでるのー?」
明未「うん。ためになるからね」
絵美「私も最近、やっと覚えてきたんだよ!葉っぱと、シートベルトと、弁当……なんだっけ?」
明未「……それって、バッハと、シューベルトと、ベートーヴェン?」
絵美「あ、そう、それそれ!おしかったなぁー、ちょっと違ったか」
明未「……」

                       〜本当にえんど〜
桃助
2003年06月20日(金) 20時26分35秒 公開
■この作品の著作権は桃助さんにあります。無断転載は禁止です。
■作者からのメッセージ
 改めて、こんばんは!桃助です!皆さん、この長い長い、私のテーマ統一小説をよんでくださって、ありがとうございました!
 …上から読んでくれてますか?(笑
 さてさて、今回ですが。 反省反省反省の連続ですね…。
 まず、際立ったシーンがない。これは、前回にも言われたことなのですが、どうも改善ならず…(汗
 次に、主題がはっきりしない(汗
 もう1つ、展開早すぎ(汗

ちなみに、今回もお約束どおり、もっと長くなる予定でした(これでも随分長い…
1。変更点。本当は最後に明未はコンクールに出て、再び最優秀賞を取るはずでした。
 2。もっと、明未と空のエピソードがある予定でした。(2人で曲を演奏したり、など。
 3。変更点。空はピアノが上手い予定でした。
 4。空の出生と、『彼ら』との関係をカットしました。一応、これは明未の視点から見た物語だったので。
 5。遊園地のシーン。絵美達の「裏企画」は、もっともっと2人を罠にはめる(笑)はずでした。
  もっとありそうです(苦笑

 しかし、まぁ……結構上手くいったほうではないでしょうか?
 ちなみに、登場人物の容姿、歳(学年)などは、あえて詳しく設定していません。
 最後のある日というのも、2人が分かれてからどれぐらい経過したのか、詳しく書いていません。
 この話は、とにかく「自由」なんです。明未も、空も、絵美も、他の人々も、ほかの事柄も、読んでくれた人が決めてくれて構わないのです。
 ――統一テーマが「空」なのに、どちらかと言うと「自由」寄りって言うところをつっこんではいけません(苦笑
私の中では「空」=「自由の象徴」だったんです(苦笑

 ではでは、こんなに長い作品、そしてあとがきにお付き合いくださって、ありがとうございます。

テーマ統一小説には私のほかに、
 計都
 飛鳥
 命(元恭一)
 じょう
 侍忍者
が、参加しています。そちらのほうもぜひ、読んでくださいね(^^)

 そうそう、コンダクターの続きを近いうちに投稿したいと思います。こちらもぜひ、ご観覧ください。
 では、また。

 あ、最後のネタは、気にしないでくださいね(笑
 どうしても書いておきたかったんです、個人的に、カットしたくない部分だったので(笑

この作品の感想をお寄せください。
失礼(汗)。Enter押しちゃったよ。んで、点数なり。 5 じょう ■2003-06-22 18:14:49 o093053.ap.plala.or.jp
クラ吹きさんが主人公かぁ…お、なんか意味ありげな男の子…おぉ、明未と空(あえて敬称略)いい感じではないですか♪…え、なんなのこいつら?…えぇぇ、いなくなっちゃうう??…再会だよ、よかったぁ…という感じでした(←どんな感じだ 爆)。あんまり長いと思わなかったのは、表現が上手いからなんでしょうな。うらやましい限り。最後の再会、勝手に5年くらい経過させてしまったくらいにして(汗)。最後の絵美嬢のボケっぷり、ナイスです(笑)。ではでは 1 じょう ■2003-06-22 18:14:11 o093053.ap.plala.or.jp
・・・ごめんなさい、途中でヘマやって切ってしまって・・・。クラリネットを吹いている所の描写がとても良いな・・・と思いました。では、コンダクターのほうも楽しみにしてます! 5 翡翔 ■2003-06-21 22:02:29 p5232-ip07higasisibu.tokyo.ocn.ne.jp
桃助、久しぶり!・・・忘れられてそうな位ご無沙汰ですが・・・。クラリネットを吹く主人公にまず惹かれてどんどん読み進められたし、後半も急展開だけど臨場感があって手に汗握った位だよ!やっぱり 1 翡翔 ■2003-06-21 21:59:49 p5232-ip07higasisibu.tokyo.ocn.ne.jp
はじめまして。上から読ませてもらいました。自由っていいな〜。明未ちゃんのクラリネットのくだりで感動しました。展開早いとは感じませんでしたよ。それに読んでると引き込まれて長さは感じませんでした。最後のネタは思わずプッとふきだしました(^‐^)ではでは★ 5 alex ■2003-06-21 01:21:53 r213156.ppp.dion.ne.jp
くくく…(実は最後に笑った人)じゃなくて(怒)感動しましたかなり!!長さを感じない桃助の小説!!そしてレベルの高い小説!!…私のと大違いだ(ぉぃ)どっちに感想書こうか迷ったけど、やっぱり下に書きます。凄い感動が来て、少し涙ぐみました。大丈夫、私も裏情報はかなり消してる小説に!!(そうさ、あーんなことや、こーんなことを)展開の早さは感じなかったよ?私がはや過ぎともいえるが(苦笑)自由か…でも私も小説別テーマは『包み込む存在』だし、良いんじゃない?(笑)長くなってしまいましたが、この辺で。次もがんばれ!!…てか、何でこんなにみんなうまいのよぉ…。 5 計都 ■2003-06-21 00:58:07 y129009.ppp.dion.ne.jp
合計 22
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